他者の喝采を求めず、自分が自分に喝采を送れるかを考えよ––––リチャード・フランシス・バートン
東京ジャーミイ、東京、日本
東京の閑静な住宅地、代々木上原に降り立つ。駅から数分歩くと、日本の住宅地には似つかわしくない建物がひょっこりと現れる。それが東京屈指のモスク、東京ジャーミイである。
ジャーミイとは
一般的にイスラーム圏では、イスラーム教徒が礼拝をする場所をモスクと呼ぶ。イランやマレーシアなど非アラブ圏であっても、だいたいモスクという名前がついている。しかし、トルコに限ってはモスクではなく、ジャーミイと呼ぶ。ジャーミイというとトルコ以外では、町の中心的なモスク(ジャーミイ・モスクなどと呼ぶ)のことを指す。
空中写真から見たモスク
早速モスク内に入ってみたいところだが、まずは頭上からモスクを見下ろしてみる。グーグルマップの空中写真で東京ジャーミイの位置を確認すると、不思議なことに気づく。
多くの建物は、区画に対して直角に建てられているのに、東京ジャーミイはやや斜めっている。なぜか。モスクというのは、通常メッカの方角に向いて建てられる。ムスリムはメッカの方角に向かって礼拝をするので、建物自体がメッカの方向を向くことになる。建物の正面になるのは、ミフラーブと呼ばれるくぼみがある壁である。空中写真を見ると、建物の正面が出っ張っているのが分かる。ここがちょうどミフラーブの位置となる。
上空からみた東京ジャーミイ
さらに写真からだと、ドーム屋根が連なっている様子がよくわかる。ジャーミイの近隣には、高さがある建物が隣接しているため、地上からモスク全体をとらえることは難しい。通常であれば、モスクの目印となるミナレットと呼ばれる塔も、そうした高い建物に埋もれてしまっている。
モスクの外観。電信柱が乱立する日本では、モスクの外観写真を綺麗に撮るのが難しい。
東京ジャーミイのスタイル
東京ジャーミイは、巨大なドームが特徴のオスマン帝国スタイルを採用している。建築を担当したのはトルコの建築家ヒリミィ・シェナルプ氏。名古屋万博のトルコパビリオンや、このブログでも紹介した近未来モスク、マルマラ大学神学部ジャーミーを手がけた人物である。
モスクの入り口。日本語が書かれている。通常モスクにアラビア語意外の言語が書かれていることはあまりない
それにしても2000年というごく最近できたモスクなのに、なぜ伝統的なオスマン帝国スタイルを採用したのだろう。世俗主義を掲げるトルコは、宗教的なものとはできるだけ距離をとってきた。イスラームを国教としていたオスマン帝国はその最たるものである。
けれども、オスマン帝国は現代のトルコの基礎にもなっているし、偉大すぎる巨大帝国の影響から逃れることは、難しい。600年以上続いた長寿帝国。そして最盛期には、北はルーマニア、南はイエメンに至るまで広大な土地を支配した。オスマン帝国が滅んだ今もなお、トルコのみならず世界各地でオスマン帝国風のモスクが作られ続けられている。オスマン帝国とは関係のない地域にもあるので、そのスタイルの人気ぶりがうかがえる。
ドームだけを切り取れば、まさしくイスタンブールの光景
スタイルとして単純にかっこいいという理由かもしれないし、オスマン帝国の威を借るという目的もあるのかもしれない。実際、2019年に建てられたイスタンブール最大のチャムルジャ・モスクは、オスマン帝国スタイルを採用している。そこには、現トルコ大統領とオスマン帝国の権威をシンクロさせる狙いがあるのでは、という見方もある。
というわけで、トルコらしいモスクといえば、やっぱり威風堂々たるオスマン帝国風、ということでこの形に落ち着いたのかもしれない。
モスク内を彩る装飾
モスクだけを見れば、そこが東京であることを忘れてしまう。しかし、ふと外を見れば、乱雑な電信柱や雑居ビルなど、やはりここは東京なのだと我に帰る。
トルコから遠く離れた極東の東京にあるモスクだ。本場のモスクに比べれば簡素なものだろう、と思っていた。しかし、中へ入るとトルコ現地から資材と職人を呼んできたとあって、その完成度は現地のモスクにも劣らないものだった。いやむしろ、それ以上のものもある。
イスラームのモスクは「空間恐怖症」と呼ばれるぐらい、とにかくありとあらゆる面を模様でうめつくす。モスクを彩る装飾は、小さな模様から成り立っている。けれども、それがモスク全体を覆い尽くすと、圧巻の装飾となる。まるでスイミーの法則である。
モスク内には、トルコならではの模様も散りばめられている。チンタマーニと呼ばれる目ん玉のような丸いボールが3つ連なってできたトルコならではのモチーフ。これはもともとチベット仏教やヒンドゥー教に影響を受けたものだと言われている。
モスク1階のロビーに飾られたチンタマーニのタイル。両脇には糸杉が描かれている。
トルコの国花でもあるチューリップのモチーフもある。チューリップといえば、オランダじゃないの?と思われるかもしれないが、もともとトルコにあったチューリップにヨーロッパ人が惚れ込み、オランダに持ち込んだことで今のイメージが定着した。チューリップは、トルコでは神聖な花とも考えられている。トルコ語でチューリップはラーレ。つづりの文字を変えると、イスラームの神を意味するアッラーとなる。
モスクの所々にチューリップのモチーフがある
ドーム空間に圧倒されて見逃しがちだが、天井装飾にも注目したい。モスクに入ってすぐの天井には、中国から影響を受けたと見られる雲模様や、ハータイーと呼ばれる宝相華を連想させる花で彩られている。
トルコは他の地域に比べると、異教徒に開かれているモスクが多いような気がする。世俗国家ということもあるのかもしれない。その空気感は、いつでも見学ウェルカムとオープンな東京ジャーミイも同様だ。東京という異国の地にありながら、建物の見た目だけでなく、トルコの空気感もまた再現されているように感じた。
カリグラフィーに注目
同じモスクといえども、トルコのモスクは他の地域と比べてちょっと違う。「クルアーンはメッカで啓示され、カイロで読誦され、そしてイスタンブールで書写された」という言葉があるぐらい、イスタンブールでは書道芸術が盛えた。それを誇示するかのように、トルコのモスクは特にカリグラフィー装飾が多い。東京ジャーミイもその例外ではなく、モスク内のいたるところに、様々な書体で書かれた書道作品を見つけることができる。
カリグラフィーには、コーランの一説やイスラームの神アッラーの美名、格言などがアラビア語で書かれている。トルコなのになぜトルコ語ではなく、アラビア語なのかと思うかもしれないが、アラビア語はイスラームの共通言語であり、コーランをつづる神聖な言葉でもある。よって非アラビア語圏であっても、モスクの装飾や礼拝には、アラビア語が使われている。
帯状になったタイルに書かれたカリグラフィー
左上から時計回りにイスラームの神アッラー、預言者ムハンマド、4大カリフであるウマル、アリー、ウスマーン、アブー・バクルの名前が書かれている。彼らの名前が書かれたメダリオン装飾はオスマン帝国スタイルならではのもの。
シャンデリアもアラビア語のアルファベットになっている
モスクに配置された6つのドームと同じく、シャンデリアも6等分に分かれている
職人の技が光る装飾
モスクのドアにも注目されたい。ここにもトルコの伝統芸術の技が光る。幾何学的な木片のピースを釘や接着剤を使わずに、組み立てられたモスクのドアである。この技法は、クンデカリと呼ばれ日本の組子にも通ずるところがある。
モスク入り口のドア
木片のピースにも植物文様が描かれている
異国の地のモスク
東京ジャーミイは本場トルコのモスクに比べても遜色のないものだったが、日本という異国の地ならではの要素もあった。礼拝の合図を告げるアザーンが始まると、トルコ人スタッフが電気を消し、建物入り口のドアを閉めているではないか。
おいおい、逆じゃないのか。普通は、これから礼拝する人々がなだれ込んでくるのだから、入り口を閉めるなんてありえない。聞くと、スタッフ全員が礼拝所へ向かうため、セキュリティのため閉めるのだと言う。モスク1階の入り口付近は、ロビー兼多目的スペースとなっており、工芸品や販売用の書籍が置いてある。礼拝は2階で行われるため、礼拝中1階はもぬけの殻のとなる。礼拝中の盗難事故等を防ぐためにも、見学者も礼拝時間は、2階のモスクに行くよう促されるのだ。イスラーム教徒が少ない土地ならではの所作だ。
礼拝時間にモスクへ行くと、モスクは先と違う雰囲気を見せた。10人程度の人々が並び礼拝を行う。先ほどまで、映えハンターの黄色い声が響いていた建物とはうって違い荘厳な礼拝の場となっていた。
モスクを出て、目の前にあった雑居ビルをふと見やった。そこには確かにイスタンブールの光景が映っていた。東京の雑居ビルに映るイスタンブール。その不思議な違和感と親近感が、東京ジャーミイなのかもしれない。