ビザンツ建築の最高傑作アヤソフィアとイスラーム建築の巨匠シナン

アヤ・ソフィア・モスク、イスタンブール、トルコ

トルコの首都イスタンブールには、世にも奇妙な経歴を持つ”モスク”が鎮座する。ビザンティン建築の最高傑作とも呼ばれたアヤ・ソフィアである。建物としての歴史はおおよそ1,500年近くだがその間に、教会→モスク→博物館→モスクというモスク界の中では、異色の経歴を持つ。その歴史は、巨大なドームが作り出す空間のようにダイナミックである。

現在ある建物が作られたのは、ビザンティン帝国のユスティニアヌス1世によって537年に作られたもの。その後、コンスタンティノープル陥落するまで、約1,000年近くギリシャ正教の総本山としてあり続けた。その後オスマン帝国による統治が始まり、コンスタンティノープルがイスタンブールへと改名されると同様に、アヤ・ソフィアも教会からモスクへとイメチェンを果たすのであった。その時に、モスクのアイコンでもある4本のミナレットが加えられ、イスラームでは偶像崇拝が禁じられているため建物内のモザイクやキリスト教のイコンは漆喰でおおわれた。しかし、漆喰でおおわれただけで、破壊されなかったというのは奇跡的なのことなのかもしれない。現に今でもこうして、キリスト教聖堂時代の壁画やモザイク画にお目にかかることができるのだから。モスクであれ、教会であれ、人類の遺産ともいうべき歴史的な美術作品が残されている事実に関して、当時の破壊しない、という判断に敬意を評したくなる。実際、アヤソフィアが醸し出すその空気は、他の建築物と明らかに違った。歴史の重さなのだろうか。重厚で畏れ多い空気がそこにはあった。

600年という、日本で言えば鎌倉時代から大正時代に至る、異例の長さで続いたオスマン帝国は1922年に消滅。その後、世俗主義を唱える現在のトルコ建国に伴いモスクは、博物館となった。誰もが気軽に歴史的な建造物に触れる空間が、モスクへと変わってしまったのは、2020年のことであった。モスクとなったアヤ・ソフィアのイコンは悲しくも布で覆われ、入り口付近ではミニスカートを履いた観光客が、係員に注意されていた(モスクへ入る際には、女性は腕や足を隠さなければならない)。ちなみにアヤソフィアには、グリと呼ばれる猫が住み着いていた。グリはアヤソフィアの看板猫として知られ、訪問者たちを和ませてきたが、2020年にこの世を去った。イスタンブールはいたるところに、猫が出没し、人々もまたそれを受け入れ、見も知らぬ猫の世話を街をあげて行うという稀有な街なのである。

ミフラーブの上のイコンが布で覆われている。
ドームに描かれた熾天使

現代のトルコでは、金太郎飴のごとく同じような外見をしたモスクを、いたるところで見かける。巨大なドームを積み重ねたモスクに、すらっと鉛筆のように伸びた4本のミナレット。それらはオスマン建築の特徴でもある。日本では若者が大挙して流行りのファッションに身を包むという謎の現象のごとく、トルコの町は同じような装いのモスクにあふれていた。コンスタンティノープル征服以降、アヤ・ソフィアに影響を受けたと見られる巨大なドームを強調したモスクが、次々と作られたというから、その名残なのだろう。現代でさえ、オスマン建築を模したモスクは、世界各地で見られ、アヤ・ソフィアのインパクトがいかに大きなものだったかがわかる。

オスマン帝国がコンスタンティノープルを攻略した当時、アヤ・ソフィアはモスク界をざわつかせた「なんやこのでっかいドームは!?こんな建築ありなん!?」と。当時の人々が驚いたのも無理はない。現代でさえ、巨大なドームが作り出す圧倒的な空間は、見る者を畏怖させる力がある。かくして、オスマン帝国の建築家たちは、アヤ・ソフィアを超えるモスクを作るべく奔走した。中でも宮廷建築家として知られるミマール・シナンはその筆頭だった。オスマン建築といえば、ミマール・シナンというぐらい、モスク建築界では有名な人物である。彼が生きたのはルネッサンス時代。同時代には、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなどスーパースターがいる。

しかし、その知名度に反して、シナンの個人的なことはよく知られないない。出生地に関しても、アルメニアだとかトルコのカイセリなど諸説ある。シナンはもともとクリスチャンであったが、オスマン帝国の軍団歩兵(イェニチェリ)になる際にイスラーム教に改宗。建築家としての人生が始まったのは、50歳のことである。その後、シナンは500近くの建築物を作り上げ(現在はその半分も現存していない)、80歳の時に自身の最高傑作とされるセリミエ・モスクを完成させたのだった。それは自身の最高傑作のみならず、オスマン建築、イスラーム建築を代表する作品の1つとなった。

圧巻のアヤソフィア、そしてシナンという建築家のダイナミックな人生。アヤソフィアとそれをめぐる物語には、畏れしかない。


参考資料
瀧川美生,オスマン帝国ドーム式モスク建築における装飾の重要性
神谷武夫,イスラーム建築