サーマッラー大モスクの生き写し。喧騒の中にたたずむイブン・トゥールーン・モスク

イブン・トゥールーン・モスク、カイロ、エジプト

カイロの街はけたたましい。道路からは絶え間なく、短めのクラクションがなる。車線変更や周りに注意を呼びかける合図だ。おしとやかにウィンカーで車線変更といったお作法はない。車がうねりながら前に進んでいく様子は、リアルマリオカートである。舗装されていない道路からは、土ぼこりが絶えず舞い上がり、カイロの街は薄茶色にトッピングされている。

街の一角には、世界でも数少ない9世紀の面影を残したイブン・トゥールーンモスクがある。モスクは2重の壁に覆われており、そのおかげで中へ入ると、先ほどのまでの喧騒が嘘のようにシャットアウトされ、閑静な雰囲気が漂う。なんだか皇居に似ている。東京のど真ん中という、高層ビルやせわしなく行き交う車の道路に囲まれているのに、時々ものすごい静かな不思議ゾーンが出現する。道路からずいぶんと距離をとるだけで、あら不思議。たちまちその騒音はどこかへ消えてしまうのである。

しかし、このモスク入るのが容易ではない。敷地は縦横100メートル以上の四方の壁にぐるりと囲まれている。壁には等間隔で木製の巨大なドアが設けられているが、現在利用できるのはアハマド・イブン・トゥールーン通りにある入り口1つのみである。アンダーソン博物館が隣接しているので、そちらを目印にした方が良いのかもしれない。

モスクを建築したのは、このモスクの名前にもなっているアハマド・イブン・トゥールーン。アハマドは元々はトルコの奴隷軍人で、アッバース朝からエジプト総督府としてこの地に派遣されたのだった。しかし、彼は何を思ったのかその数、自分の王朝を作ってしまうのである。それが、トゥールーン朝である。現代で言えば、転勤を命じられた一介のリーマンが、転勤先で自分の会社を立ち上げてしまうようなもんである。トゥールーン朝は40年も経たずに滅亡してしまったが、このイブン・トゥールーンモスクは、1,000年以上その形をとどめながら現在にいたる。

その形は、イラクにあるサーマッラーの大モスクと共通する部分が多くある。アッバース朝は一時的に首都をバグダードからサーマッラーに遷都しており、アハマド ・イブン・トゥールーンもまたこのサーマッラーで教育を受け育った。スケールで言えば、東京ドームの2倍の収容力を誇るサーマッラーの大モスクの方が圧倒的だが、当のモスクはミナレットやモスクの外壁を残すだけで、モスクとしての面影は薄い。一方で、イブン・トゥールーンはミフラーブや壁の装飾などモスクらしさが多く残る。まるで、サーマッラーの大モスクの生き写しである。事実、イブン・トゥールーンモスクの姿を見たときは、まるで死んだ人間に出会えたかのような感動があった。

モスクの回廊
中庭を回廊が囲むように建っているアラブ型のモスク。中央にあるのは体を清めるための洗い場である泉亭。現在は使われていない。

一番の生き写しポイントは、遠くからでもはっきりわかるらせんのミナレットだろう。イブン・トゥールーンモスクやサーマッラーのミナレットに影響されたと思われるらせんミナレットは、エジプト国内外に存在する。ミフラーブやアーチに施されたスタッコの装飾もサーマッラー・スタイルを思わせるものがある。サーマッラーは、バグダードからの遷都先として一時的に作られた都市だ。一時的な遷都に合わせて町作りも急ピッチで進めなければならず、広大な敷地に建物を建て、素早くレンガの表面に装飾を施す技術が発達したという。同じような手法がこのモスクでも使われたのだろう。

植物と幾何学的なモチーフを組み合わせた抽象的な模様

このモスクが面白いのは、異なる時代に作られたミフラーブがある点。このモスクには、トゥールーン朝のミフラーブが3つ、ファーティマ朝とマムルーク朝時代に作られたミフラーブが1つずつ、合計で5つのミフラーブが存在する。多くのモスクにはミフラーブは1つしかないが、このように時代によって付け加えられたり、本ミフラーブが改修中のため、臨時ミフラーブを作ったりすることで、複数のミフラーブを持つモスクも存在する。

メインのミフラーブ。大理石やスタッコ、レンガで作られている。真ん中には、スンニ派の信仰告白を表すアラビア語のカリグラフィーが、金色のモザイクに描かれている

ちなみにダウディ・ボーラ派と呼ばれるシーア派の人々はこのモスクを訪れた際に、ファーティマ朝のミフラーブ前でしか祈らないという。通常、スンニ派かシーア派かというのは、見た目では区別がつかない。けれども、このダウディ・ボーラの女性たちは、手作り感満載のカラフルな洋服をきており、その特異なコスチュームゆえに、どこにいても一発でわかるのだ。

カイロの喧騒から離れて、静かにアッバース朝の時代に思いをはせることができるイブン・トゥールーン・モスクは、カイロにあるようでどこか異空間を感じさせる場所だった。


参考資料
Caroline Williams, Islamic monuments in Cairo, 2008
Islamic Architecture, Robert Hillenbrand, 2004
Tarek Swelim, Ibn Tulun his lost city and great mosque, 2015
Islamic Ceramics, Abbasid ceramics
MIT, Stucco Decoration, Samarra Style