古代ローマの建築部材を再利用。古代の美が息づくディヤクバル大モスク

美しい身体は死ぬが、芸術作品は死なない
––––レオナルド・ダ・ヴィンチ


ディヤクバル大モスク、ディヤクバル、トルコ

トルコは観光地としてもお馴染みの国だが、トルコ東部へ訪れる観光客はそれほど多くない。日本の観光ブックには、トルコ東部なんて存在しませんよなどと言わんばかり、観光マップから消されていた。場所によっては、最近まで観光客の出入り自体が禁止されていたり、東部に立ち入るのには、許可が必要だったと話をきく。世界中から観光客を迎え入れ、日本人にもなじみのあるフレンドリーなトルコの裏の顔が東部にはある。

シリア国境から50キロ、美食の町として知られるトルコ南東部の町、ガジアンテップからさらに東へ行くとディヤルバクルがある。その名は、639年にこの地を征服したアラブの部族名、ベニ・バクルに由来する。国を持たない最大の民族と呼ばれるクルド人が多く暮らす町であり、近年はクルド武装勢力とトルコ政府の抗争のおかげで、近寄りがたいイメージがある。実際、ディヤルバクルの町では、他の町では見かけなかった軍事車両や兵士があちこちにいた。近年の抗争により、町の大部分が破壊されたらしく、弾痕が残る場所や更地には建設途中の建物を多く見かけた。さらに、訪れた旅行者の供述によれば、ディヤルバクルは治安が悪いとか、繁華街にいる若者に襲われそうになった、などあまりよろしくない感想が飛び出す。トルコはハンズフリーで楽しめる場所かと思ったが、ディヤルバクルだけは一人で行って大丈夫なのか、という緊張が走る。

ディヤルバクル大モスクに降り立つと、見知らぬ男が声をかけてきた。町を案内してやる、というのである。はいはい、詐欺ね。無料でガイドすると見せかけて、あとでお金を請求するという、旅行界隈に置ける典型な詐欺のパターンである。「そんなもんいらんわ、しっし」と男をあしらったが、自分は公認ガイドだとか、本当にお金はいらない、と男は食らいついてくる。どうしてもガイドをしたいらしい。ということで、ガイドを頼むことにした。

ディヤルバクル大モスクは、外から見ると、モスクとはわかりづらい。モスクを囲うゲートをくぐり抜けて初めてそこがモスクだと分かる。アーチ状の東側ゲートの左右には、雄牛を襲うライオンのレリーフがある。モスクに、動物や人物像が描かれることは珍しい。偶像崇拝禁止の観点から、宗教的な場であるモスクでは、特に動物や人物像というのは排除されるのが常であった。

diyarbakir_mosque_entranceディヤクバル大モスクモスクの東側ゲート。町の広場に面している。

雄牛を狩るライオンのレリーフ。古代メソポタミアやゾロアスター教のシンボルとしても登場するレリーフだが、おそらくここでは権力を象徴している。上部にあるクーフィー体のカリグラフィーは、モスクの歴史について語っている

ディヤクバル大モスクの敷地内。中庭中央にあるとんがり屋根の建物2つは泉亭

diyarbakir_Ulu_camii_insideモスク内部。石造りなので室内であっても寒い

アナトリア最古のモスクの1つでもあるディヤルバクル大モスクは、もともとキリスト教の聖堂だったものを改築したものである。現在のモスクは、1091年にセルジューク朝のマリク・シャーによって再建築されたもの。その姿は、同じく教会を改築してモスクへと転身した、ダマスカスのウマイヤド・モスクに酷似している。その姿ゆえか、ディヤクバルモスクをイスラーム第5の聖地だとする見方もある。ウマイヤド・モスクは、イスラーム初期の代表的なモスクであり、ビザンツ様式を継承したモザイク画装飾は有名である。一方、ディヤルバクルモスクには、古代ローマやギリシャ時代の建物に使われた柱がふんだんに再利用されており、イスラーム以前の古代美を感じられる場所となっている。

diyarbakir_ulu_camii_column2階部分が女性の礼拝所になっている西側の建物。男女の礼拝所は建物で分かれている

diyarbakir_ulu_camii_roman_columns東側の建物に使われているのは大理石の柱。柱や装飾のパターンが様々であることから、異なる時代の古代建造物の部材を持ち込んで、モスク建築に使われたのだとみられる。

ディヤクバル大モスクの柱西側の建物を支える柱は、幾何学をモチーフにした文様が彫られている

豪華な装飾がほどこされた柱頭。ブドウの蔓文様やアカンサスの葉で覆われた柱頭が確認できる。こうした古代ローマやギリシャの蔓文様は、のちのアラベスク文様へと発展していく。

diyarbakir_ulu_camii_inscriptions世界遺産にもなっているヘヴセル庭園に関する記述がアラビア語で刻まれている

モスクの壁には、モスクの歴史や改築に関するカリグラフィーやレリーフを見ることができる

大モスクから5分ほど歩いたイェニカプ通りには、奇妙な形のミナレットがある。シェイク・ムハタル・モスクに隣接するミナレットだが、なんと4本足で立っている。通常、ミナレットというのは日本語でいうと光塔というぐらいだから、塔の形をしている。4本の柱で支えられているミナレットは、ここだけじゃないだろうか。ミナレットの原型である展望台が建てられたのは、紀元前900年頃で、ミナレットに改造されたのは16世紀頃だという。地元民の間では、4本柱の間を7回通ると願いが叶うという言い伝えがあるため、若者がくるくるとミナレットの周りを回っていた。東大寺の柱くぐりのような光景がそこにはあった。

diyarbakir-four-legged_minaret4本の柱で支えられたミナレット

その後我々は、ディヤクバル城壁沿いを歩き、ケバブを食べ(ガイドのおごり)、チグリス川のほとりでお茶をした(これもガイドのおごり)。チグリス川というと、メソポタミアの地である現在のイラクというイメージがあるが、チグリス、ユーフラテスの源流はトルコにある。源流を抑えておくというのは、国にとって多くのメリットがある。有事の際には、水は武器になるからである。ユーフラテス水流の90%はトルコが使っており、イラクがクウェートに侵攻した時には、トルコはイラクへの水供給をストップした。同じようなことは、ナイル川でも起こっており、エジプトは自国に必要な水を確保するためダム工事を行なっているが、ナイル下流に位置するスーダンやエチオピアは、「ちょ、まて。うちらの取り分なくなるやん」とやきもきしている。

diyarbakir_euphratesチグリス川にかかるディクル橋は町の観光スポットにもなっている

よくよく話を聞くと、男はいいやつだった。そして、インテリだった。クルド人である彼は、外交官を目指して来年からイスタンブールの大学へ博士課程を取得しに行くという。無料ガイド詐欺について私が説明すると、「まあ、イスタンブールならありえるかもしれないけど、ディヤクバルではないよ〜」と男は笑いながら一蹴した。のちにわかったことだが、彼はカウチサーフィンのホストでもあった。カウチサーフィンというのは、無料で自分の家に旅行者を泊めてもええで★という、マザーテレサのような精神の人間が集まる旅行者向けコミュニティのことである。

確かに、トルコ東部の人は、西部に比べると人々はずいぶんと素朴だった。西側の観光地だと、声をかけられるたびに警戒をするが、東部では特になんの意味もなく人々が声をかけてきた。「どこからきたの?」「もしかして日本人?」。ただそう言って、人々は去っていった。

恐ろしいとみえたディヤクバルは、魅力にあふれていた。万里の長城に次いで第2位の長さを誇るディヤクバル城壁。チグリス川ほとりには、青々と広がるヘヴセル庭園がある。紀元前9世紀、古代オリエントの遊牧民アラム人の記述にこの庭園はすでに登場しており、ローマ帝国時代から現代にいたるまで、この地の人々に食料を供給する重要な場所であった。一般的にトルコの冬はどこもどんよりとした天気だが、肥沃な三日月地帯に位置するこの場所は、冬でも雲ひとつない晴れ空を見せた。

ディヤクバル_ヘヴセル庭園冬のヘヴセル庭園

ひとしきり観光を終え、男との別れの時がやってきた。疑い深い私は最後まで、「無料だと言ってたけど、やっぱり最後に請求されるんじゃないか」と思っていた。けれども、「じゃ!」とクレヨンしんちゃんのごとく一言残して、男は去っていった。

@mosqeust_world

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♬ Amed – Diyarbakır – Raperin