アラベスク模様とは
アラベスク模様とは、アラビア風の植物文様のことで、渦状や一定の形で反復する植物の茎や蔓と葉や花などを組み合わせた模様のことを指す。花の大きさや蔓の向き、植物模様の配置などは、幾何学や一定のルールに基づき描かれる。幾何学に基づいたアラベスク模様は、反復性があり延々と続いていく。
イスラーム美術では、カリグラフィー、幾何学模様に並ぶイスラーム美術の3大装飾の1つで、今日ではスペインからマレーシアまで広いイスラーム地域で見ることができる。アラベスク模様は、モスクなどの建築装飾だけでなく、金属細工やガラス、写本の装飾などあらゆるイスラームの美術作品を彩ってきた。無限に続くアラベスク模様は、宇宙の創造者であるイスラームの神や、楽園などを想起させるが、模様やモチーフそれ自体が、特定の意味を持つわけではない。
イスラーム美術におけるアラベスク模様の例
広範囲に描かれているアラベスク模様は、小さなパターンやモチーフから成り立っている。そのパターンを繰り返すことで、まるで宇宙のような空間を作り出し、見る者を圧倒させる。モスクの室内や外壁を隙間なくアラベスク模様で覆う様子は、”空白への恐れ”とも言われる。偶像崇拝が禁じられたイスラームでは、特に宗教的な場であるモスクに、動物や人物画を書くことはタブーとみなされていた。信者がモスクに描かれた動物や人物を神とみなして、崇拝することを避けるためである。その代わりに発展したのが、アラベスク模様などの非具象的な模様であった。
アラベスク模様で彩られたイマーム・モスクのドーム。イスファハーン、イラン
カラーウーン・コンプレックスのアラベスク模様装飾。カイロ、エジプト
ハンマーム (公衆浴場)のモザイクタイル装飾。トビリシ、ジョージア
アラベスクの意味
アラベスクは、”アラビア風”を意味するイタリア語から派生したフランス語。19世紀初頭、ナポレオンのエジプト遠征によるエジプトブームと相まって、ヨーロッパやアメリカにおけるオリエンタリズムを後押しした。アラベスクという言葉は、あくまでヨーロッパ人から見た、イスラームの植物文様を指す言葉であった。今日でも日本ではアラベスクは一般的に使われているが、イスラーム美術においてはアラベスク模様という言葉は、ほとんど使われない。アラベスク模様は、ペルシャ語やトルコ語で蔓草を意味する”イスリーミー(اسلیمی)”もしくは植物模様と呼ばれる。
アラベスク模様は、イスラーム美術だけでなくヨーロッパにも影響を与えた。ルネッサンス期の美術工芸品、特にタペストリー、陶器、金属細工、書物の装飾には、イスラーム美術の装飾からの影響とみられる要素が多くある。アラベスクという言葉は、もともとイスラームの美術作品を意味していたが、ルネッサンス以降は次第に、動物や人物を蔓模様に組み合わせたグロテスク様式の装飾を表すようになった。
アラベスク模様の歴史
イスラーム建築や美術において多用されるアラベスク模様だが、その起源はイスラーム以前のギリシャ、ローマ、サーサーン朝など古代にさかのぼる。ブドウの葉やアカンサスをモチーフにギリシャで蔓文様が作られると、ローマ帝国やヘレニズムの時代を通じて、イスラーム地域にも伝えられた。イスラーム初期では、サーサーン朝やギリシャの蔓模様に影響を受けたとみられる装飾がみられる。アラベスク模様は、その後支配地域の伝統や文化を取り入れながら、さらなる発展を遂げていく。
イスラーム初期のアラベスク模様
11世紀以降には、複雑なデザインやアラビア語のカリグラフィーを組み合わせた模様が発展する。特にスペインとエジプトで、成熟したアラベスク装飾が建築に広く用いられるようになった。
カリグラフィーとルーミースタイルを組み合わせたアルハンブラ宮殿のスタッコ装飾
14世紀には、イスラームの独自性を強調するアラベスク模様が、イランや中央アジアで花開く。アラベスク模様は、モスクのファサードや外壁、ドームなど、より広範囲で使われるようになる。
カイロにあるカラーウーン・コンプレックスの装飾。ルーミーのモチーフが主に用いられている。
シェイク・ロトフォッラー・モスクのドームをおおうルーミースタイルの模様。イスファハーン、イラン
中国から影響を受けたと思われるモチーフが、使われるようになったのもこの頃のことである。モンゴル系のイスラーム帝国、イル・ハン朝の登場は、イスラーム美術に東洋のテイストをもたらすきっかけとなった。これらの模様は、持ち運びが比較的かんたんな織物や陶器によって伝わったとみられる。
中国に影響を受けたとみられるモチーフ
オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガール朝の時代は政治が安定し、イスラーム美術が成熟した時代でもあった。アラベスク模様は、複雑かつ精密化していく。しかし19世紀以降は、ヨーロッパの自然主義の影響を受けて、イスラームの芸術家もそれを取り入れるようになり、アラベスク模様は衰退していく。
アラベスク模様と唐草模様
日本ではアラベスク模様の他に、唐草文様という言葉がある。唐草は、中国や朝鮮半島を経て、日本に伝わった。枕草子に「蒔絵は唐草」、宇津保物語に「あやけづりいだしなどしたるに、からくさ・鳥など彫りすかしてあに入れて」とあることから、平安時代の7世紀には、すでに日本に唐草が存在していたことがわかる。唐草というのは日本独自の呼び方で、中国の王朝名である唐以外にも外国も意味したから、単純に外国から来た蔓模様を意味していたのかもしれない。
もともと中国には、雲や龍をモチーフにした文様などがあった。インドや西域から仏教が中国へ伝わると同時に、植物も文様に取り入れられ、仏教の装飾模様として広がった。日本にやってきた唐草模様も、仏教とともに伝わった。仏教の模様でよく見かける蓮模様の原型は、古代エジプトにある。ロータスと呼ばれる蓮模様は、古代エジプトでは永遠の生命を意味し、神聖な花として装飾に使われた。奈良の薬師寺にある薬師如来の台座には、アラベスク模様のもとになったギリシャのブドウ蔓模様やペルシャの蓮華模様が描かれている。正倉院には中国やサーサーン朝ペルシアから渡った宝物品が所蔵されているが、それらの宝物品にも、唐草が描かれている。
奈良の薬師寺と唐草模様
唐草にしろ、アラベスク模様にしろ、その起源は同じで古代エジプトや古代ギリシャの時代にある。初期のムスリムたちは、古代ギリシャやローマの模様を取り入れつつ、独自の模様を発展させていった。それがのちにヨーロッパ人から”アラベスク”と呼ばれる模様となったのである。
アラベスク模様の種類とモチーフ
アラベスク模様はいったい何種類あるのか。その数を特定するのは難しい。なぜなら、アラベスク模様において、似たようなパターンはあるものの、必ずしも決まったパターンがあるとは限らない。一方で、以下のようによく使われるモチーフはある。どのモチーフをどのように配置するか。モチーフの組み合わせだけ、パターンを作ることができる。
アラベスク模様の主なモチーフ
Yeni Baslayanlar Icin Tezhip 1を元に作成
ルーミー模様ができるまで
ルーミーというのは、”ローマの”という意味で、東ローマ帝国の領土であった地域を指す言葉として使われていた。セルジューク朝時代に、トルコ人たちが鳥の洞くつ壁画をもとに発展させたモチーフで、アラベスク模様を代表するモチーフでもある。
イスラームの植物模様に関する研究は、まだ発展途上と言える。そもそも、模様をあつかう装飾史というのは、個々人の作品を扱う美術史に比べると遅れている。特に美術史が発展した西洋美術において、模様や装飾というのは、あくまで絵画や建築といった主役を引き立てるための脇役でしかなかった。イスラーム美術に関する研究が、中国や西洋美術に比べると絶対的に少ないのは、こうした背景もあるのかもしれない。
実際にイスラームの幾何学や植物模様を描いてみると、その違いがよくわかる。日本やヨーロッパで美術といえば、デッサンをしたり、陰影や遠近法を使いフリーハンドで描いていく。一方で、イスラームの美術では、コンパスと定規を使い、一定のルールに基づいて模様や図形を描いていく。それは、まるで数学でアートを描く感覚で、日本やヨーロッパの美術とは根本的に違うということが、手から伝わる。
参考資料
ヤマンラール水野美奈子,イスラーム美術と文様,イスラーム 世界美術大全集 東洋編17
山本忠尚,日本の美術3 唐草紋
視覚デザイン研究所編,日本・中国の文様事典
Edited by Khaled Azzam, Arts & Crafts of the Islamic lands
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