ジョージアの首都唯一のモスク。謎の空間に隠された知られざる歴史

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ジュマ・モスク、トビリシ、ジョージア

コーカサスの国ジョージアは、世界的にはそれほど知られていないらしい。「ジョージアにいる」というと、アメリカの?という返答がほぼ100%返ってくる。グーグルでジョージアと検索しても、出てくるのはアメリカのジョージア州の情報ばかりである。

一方で日本は意外なものでジョージアの認知度が高まっているらしい。松屋がジョージア料理であるシュクメルリを期間限定で発売したことにより、SNSで爆発的に火がついた。海外にそれほど興味がない私の友人でさえ、私がジョージアに行くと話すと、驚異的な食いつきを見せたほどである。

確かに、フタを開けてみればジョージアは魅力にあふれている。コーカサス山脈が生み出す自然、ワイン(街中に死ぬほどブドウの実がなっている)、日本人好みの美味しい料理、伝統的なキリスト教会など。私が学生だった10年前といえば、ジョージアはまだグルジアと呼ばれており、旧ソ連の薄暗い影を残した謎の国というイメージがあった。ジョージアに旅行したという知人の口から飛び出す、「ゴリ」だとか「スターリン」というワードに、いちいちおののいていた思い出がある。

ジョージアで人口の大多数を占めるのはキリスト教徒であり、イスラーム教徒は人口の10%と少数派である。ジョージアの首都であるトビリシには、モスクがたった1つしか存在しない。しかも、そのモスクもキリスト教会に圧倒され、ほとんどその存在感が消えている。

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観光客が多く訪れる旧市街にあるジュマ・モスク。近くにはカトリック教会やユダヤ教のシナゴーグやゾロアスター教の寺院もあり多様な民族がこの地にいたことがわかる。

赤レンガ造りのモスクは、外見からするとモスクというよりも教会である。ゆるやかな裏路地に面し、金曜日だというのに人々の姿もまばらである。モスクのロケーションから、その国におけるイスラームの位置付けが見えてくる。イスラーム圏では、人々が集まりやすい場所にモスクがあり、その周りを飲食店やショップが取り囲むようにしてある。一方で、非イスラーム圏では、どちらかというと町の外れや裏路地にひっそりと建っていることが多い。

トビリシで唯一のモスクの内装は、ブルーを基調とし、植物文様を多用したサファヴィー朝を思わせる装飾で彩られていた。モスク近くにある、一見するとカフェのようなハンマームと呼ばれる公衆浴場の外観もサファヴィー朝スタイルであった。モスク内には、シーア派が礼拝で使うモフルがおいてあり、ここがシーア派モスクであることを示していた。

イスラームという視点で見ると、ジョージア国内は2つに分断されている。オスマン帝国が支配したジョージア西部。そしてジョージア東部を支配したサファヴィー朝。いずれもイスラーム史に残る大帝国である。そして、両者は同じイスラーム王朝でありながら、スンニ派のオスマン帝国、シーア派のサファヴィー朝と宗教面でも対立していた。16世紀後半、ジョージアは、巨大なイスラーム帝国の狭間にいたが、オスマン・サファヴィー戦争の結果として結ばれたアマスィヤ講和条約により、2つに分断されることになったのである。その影響は今も見ることができる。オスマン帝国が支配した西部は、こちらの記事でも書いたように、スンニ派のムスリム住民が中心である。一方、トビリシから東へ行くと、シーア派モスクが姿を現すようになる。

モスク内は、不思議な作りをしていた。モスクの前方には、2つのミフラーブがあり、その装飾もほぼ同じ。双子のような瓜二つの空間が出現している。建物の巨大な柱がその中央に鎮座し、2つの空間を分けていた。1つのモスクを2つの空間に分ける理由は何なのか。

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まるっきり同じ形をした空間が左右に広がっている

もともとトビリシには2つのモスクがあった。現在も残るジュマ・モスクと今はなきブルー・モスクである。しかし、ソ連時代の1951年にブルー・モスクは破壊され、そのまま再建されることはなかった。なぜ2つのモスクがあったのか。1つも2つも同じじゃないか、と思うかもしれないが、この数字は大きな意味を持つ。この2つのモスクは宗派ですみ分けられていた。スンニ派はブルー・モスクで祈り、シーア派はジュマ・モスクで祈るというように。しかし、ソ連時代に、スンニ派のモスクが壊されてしまい、スンニ派の人々は行き場を失ってしまう。ジュマ・モスクは、そうしたスンニ派の人々に門戸を開き、スンニ派とシーア派の人々が同じモスクで祈るようになったのだという。1996年までは、黒い幕でスンニ派とシーア派が礼拝するスペースを区切っていたそうだ。瓜二つの空間は、そうした歴史的背景を反映しているのだろう。

2つの巨大なイスラーム帝国と2つの宗派がぶつかり合った土地。トビリシのモスクは、昔から多くの民族が行き交い緩衝地帯としての役目を果たしてきたジョージアの姿を反映しているようにも見えた。