イマーム・フサイン廟、カルバラー、イラク
イマーム・アッバース廟、カルバラー、イラク
イスラーム教のシーア派とスンニ派。一体何が違うのか。その答えが、イラクのカルバラーにある。カルバラーといえば、シーア派の聖地。預言者ムハンマドの孫であるイマーム・フサインが、大帝国ウマイヤ朝に戦いを挑み破れた「カルバラーの戦い」の舞台となった場所である。現在のカルバラーには、イマーム・フサインの廟があり、フサインの死を悼む宗教行事「アーシューラー」の季節になると、世界中のシーア派たちがカルバラーへと巡礼に訪れる。
シーア派以外の人々からするとイマーム・フサイン?誰それ?という感覚だが、フサインは悲劇の殉教王子として、子どもから大人まで絶大な支持を得ている。その熱狂ぶりたるや、シーア派界のアイドルである。先の「アーシューラー」では、シーア派の人々は、戦いで破れたフサインと同じ痛みを味わうべし!として、男性は刀で己の頭を切り裂き、鎖で己の身体を叩く。男たちの頭からは、とんでもない量の血があふれ出し、あたりは文字通り血生臭くなる。これを自虐祭りと言わず何と言おうか。そして、「フサイン!フサイン!」と集団の人々が声を上げながら、町を練り歩く。はたから見れば狂気である。
詳細は下記の記事を参考に
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現代において、そこまで多くの人に思いを寄せられる人間などいようか。独裁国家の主君ですら、国民をそのように手なづけることは無理だろう。シーア派が多数派を占めるイラクやイランでは、町のいたるところにフサインの肖像画が掲げられている。今でこそイラク国内には、殉教王子の肖像画であふれているが、スンニ派のフセイン政権の時代には、シーア派行事開催や参詣が禁じられていた。
一般的にイスラーム教の3大聖地といえば、サウジアラビアのメッカ、マディーナ、エルサレムである。巡礼といえば、イスラーム教の5行の1つでもあるメッカ巡礼のことをさすが、シーア派にはシーア派ゆかりの地や墓廟を参詣する独特の習慣がある。カルバラーやナジャフへのお参りは、シーア派スピリットを高める上で欠かせない。一方で、スンニ派の人々に、とってはさほど重要な聖地とは認知されていない。シーア派のスピリットを体現すカルバラー。そこには、メッカやエルサレムにも似た聖地の空気感があり、エルサレム症候群のようにカルバラーで卒倒する人も見かけた。
イマーム・フサイン廟内は、四方を囲まれた部屋が中心にありその周りを、中庭が囲むようにある。部屋の中にあるのが、フサインの廟だ。と言っても、我々が目にするのは、棺桶ではなく廟を囲む、アラビア語でダリーハと呼ばれる格子状の入れ物である。ダリーハは、おそらくシーア派特有のもので、スンニ派の廟では見かけたことがない。ダリーハを中心として、部屋は二分されており、男性と女性でスペースが振り分けられている。
参詣にやってきた人々は、そのダリーハや部屋のドアに口づけをしてみたり、手を押し当てて目をつむり祈りを唱えている。次から次へとやってくる参詣者が同じ場所に、口づけをしているが、参詣者たちは一向に気にする気配はない。中庭では、コーランを読んだり、すすり泣く参詣者の姿がある。1,300年以上も前に、巨大な帝国に挑み命を落とした男フサイン。カルバラーへと訪れる参詣者たちは、今もなおフサインの無念と悲しみを胸に抱いている。それはスンニ派の人々が決して抱くことがないものである。