メヴラーナ博物館、コンヤ、トルコ
聖地というのは、独特な雰囲気を醸し出している。それは聖地という磁場から来るというよりも、聖地を訪れる人々によって醸成される気がする。トルコの内陸部にあるコンヤもまたその1つだ。コンヤはスーフィーズムで知られるメヴィレヴィー教団の聖地として知られる。スーフィズムはイスラーム教の一派だというが、その実態は謎に満ちている。資料を読んでも、どこかつかみどころがない。ならば、スーフィーの聖地に直行してしまえ、というのが訪問のコンセプトである。
コンヤを案内してくれたのは、自身もまたスーフィーだというベルテックである。マイナス6度という極寒の日に敢行された「スーフィーと行く★コンヤツアー」は、「どう?コンヤは他の場所と空気が違うでしょ。今日はいい風が吹いてるわ」という謎のイントロダクションとともに、幕を開けた。最初こそ、「はあ・・・」と言い返すしかなかったが、コンヤの町を巡るに連れ、ベルテックの数奇な運命と、この町の不思議が明らかになるのだった。その不思議な話は、日常の世界であればにわかに信じがたいものである。占いや幽霊のような、信じる人には見えるし、信じない人には存在しない、そんなふわふわとしたものである。
ここコンヤがスーフィーの聖地と呼ばれるのは、メヴィレヴィー教団を始めたルーミーの墓があるためだ。ルーミーはもともとアフガニスタンのバルフに生まれたが、ある日ルーミーの父親が「危険が迫っている!」とモンゴル軍の侵略を予想し、ルーミー一家は西方のアナトリアへと逃れる。災厄を事前に察知できるという時点で、あれ?と思ってしまうのだが、スーフィーやイスラーム絡みの話はいちいちツッコんでいては話が進まないので、このまま進めよう。
しばしの放浪後、彼らがたどり着いたのが、コンヤだった。ルーミーはそこで今後の人生を決める運命の人と出会う。それが、スーフィーのタブリーズ・シャムセである。その出会いは劇的だった。ルーミーが父親が営む学校で教鞭をとっていた時のこと、男が奇声をあげながら乱入してきた。この男こそがタブリーズ・シャムセである。シャムセはいった。「ルーミー!お前に会うために俺はやってきたのだ」。すると、ルーミーは「私が教えるのはもう終わりだ。このかたこそ私の先生なのだ」と言い残し、シャムセと2人で教室を後にしたのだった。何やらボーイズラブのような匂いがしなくもない。その後、ルーミーはシャムセに弟子入りをし、スーフィーの修行に没頭する。ところが、ある日突然、シャムセは何も言わず姿をくらます。シャムセを失い絶望の淵に立たされたルーミーは、シャムセのことを思った詩を作り上げる。中でも1,000ページ以上にもわたりルーミーの詩をまとめた『精神的マスナヴィー』は、スーフィーのバイブルとして今も全世界で読まれている。
ベルテックもまた数奇な運命に導かれて、コンヤを安息の地としていた。チュニジア生まれだというベルテックは、以前から何度もコンヤを訪れていたのだが、1年半前に意を決してこの地に移住したのだという。スーフィーに興味を持ち始めたのは、博士号を取るため生活の地をロンドンへと移した留学時代だったという。「毎週パーティーとかに行って、疲れちゃったのよねえ。何でこんなことしているんだろうって」。スーフィズムのみならず、物質主義や資本主義に疲れた人々が、精神的なよりどころとして宗教に傾倒するのは、珍しいことではない。
スーフィズムの始まりもそうだった。奢侈をつくしたアッバース朝宮廷の俗世的な生き方ってイスラームとしてどうよ?という疑問から、スーフィズムは広まった。彼らは、煩悩や物資的なものを遠ざけ、どうやって神に近づけるかを考え始めた。セマーと呼ばれる、くるくると旋回するダンスもまた、旋回し陶酔状態になることで、神を感じる1つの手段だった。スーフィーたちが目指したのは、精神的に神を感じることだった。しかし、これといって決まった方法があるわけでなく、各々が試行錯誤しながらその手法を編出すのだった。「これは神を感じられるぞ!」という画期的な手法を編み出した人間のもとには、「その方法を教えてくれい!」という志願者が殺到。彼らはハーンカーやテッケなどと呼ばれる修道場で共同生活を送りながら、その教えを乞い、スーフィズムたるものを学んでいくのであった。
ここに、スーフィズムがとらえにくい理由がここにあるのではないか、と私は思う。スーフィズムというのは、精神的なものである。ベルテックの話を聞いてもやたらと、”ハート”、”ラブ”、”ゴッド”などというワードを連呼する。私の理解力が低いせいかもしれない。一方で、イスラームというのは、信仰告白する、礼拝をする、喜捨する、断食する、巡礼する、といった目に見える行動で実践してく。私は何か目にみえて分かるものをスーフィーに期待していたのだろう。「物質的なものや目に見えるものではなく、心で感じるのよ」と繰り返すベルテックの説明に、すかしを食らった気分である。
コンヤにあるメヴラーナ博物館は、世俗主義のトルコにおいて、”博物館”となってしまったが、そこにあるのはルーミーの墓廟、そしてスーフィーたちが修行の場とした修道場などがある。今もなおルーミーを敬愛する世界中のスーフィーたちが訪れる”聖地”なのである。コンヤのアイコンにもなっているターコイズ色のタイルで覆われたドームの下には、ルーミーが眠る。宗教とは一線を画すトルコ共和国の誕生とともに、メヴィレヴィー教団は解散を命じられた。現在行われているセマーは、観光客向けイベントとして許されたものである。
スーフィーの聖地になっているのは、メブラーナ博物館だけではない。謎の失踪を遂げたシャムセ・タブリーズの墓や、そのほかスーフィー関係者の墓もまた巡礼地となっている。中にはルーミーに会うためはるばるインドからやってきたというスーフィーの墓もある。いかにルーミーの影響力がすごかったかがわかる。
スーフィー巡礼地の1つになっているアテスバズ・イ・ヴェリの墓にまつわる不思議な話を聞いた。この墓もまたコンヤにある。アテスバズは、ルーミーお付きの料理人であった。これは別のコンヤの案内人に聞いた話で、彼のスーフィー友人にまつわる話である。友人は定期的にこの墓へとやってきていたのだが、ある日彼は不思議な夢をみる。墓の周りを水がくるくると回っている夢である。1度ならず、彼は同じ夢を3日間見続けたのだという。友人に「墓の様子を見て欲しい」と頼まれ案内人は墓にやってきたのだが、そこで発見したのは目を疑う光景だった。墓が水浸しになっていたのだという。水浸しになった原因は、排水管が壊れたとのことであったが、それにしてもこんなことってあるのだろうか。にわかには信じがたい話なので、神秘の巡礼感を演出する、アトラクションの一種なのかもしれない。信じるか信じないかは、あなた次第である。
コンヤ巡りも終盤に差し掛かった頃、「結婚をしているのか」とベルテックに無粋な質問をした。インテリ女子ベルテックは、30代後半になるまで結婚のことなど考えたことはなかったという。けれども、父親の死をきっかけにふと家族が欲しいと思うようになったという。それはコンヤに移住してからのことであった。ベルテックは、結婚がしたいと神に祈るようになった。それから1ヶ月後、観光でやってきたという10歳年上のドイツ人男性と結婚をし、現在に至るのであった。神に祈って1ヶ月後に結婚。神のご利益と言うのは、結婚相談所いらずである。果たして、コンヤと言う不思議な空気が宿る土地のせいなのか。神の思し召しなのか。偶然なのか。それはわからない。こうしてコンヤを巡る神秘の巡礼ツアーは終わったのだった。