聖と世俗が交差する場所。スーパー一体型モスク

メルテム・モスク、アンタルヤ、トルコ
ホカ・アハメット・イェセヴィ・モスク、ベイシェヒル、トルコ

日本人にとって神社や寺という祈りの場は、神聖な場である。神聖な場は、なるべく俗物的なものを排除する。それはモスクも同じだと思っていた。けれども、もしかしたらそれは違うのかもしれないと思うようなモスクに出くわした。

スーパーマーケットが1階にあり、2階にモスクという建物にトルコではしばしば出くわした。高層ビルなどでは、礼拝スペースとしてビルの一角やワンフロアを貸し切っている場合もある。しかし、トルコで見かけたのはいずれも立派なモスクの下にスーパーマーケットが展開している。どちらが譲り合うという様子もなく、お互いが程よい存在感でそこにある。パワーバランスが対等な夫婦みたいである。スーパーマーケットというごく日常的なものと、モスクという神聖な場が同じ場にあることが不思議だった。これは世俗国家トルコゆえなのだろうか。

しかし、考えてみればイスラーム教徒にとっては、祈りも日常の一部である。モスクによっては、異教徒が入れない場所があったりと神聖性を保とうとするルールがあるが、モスクそれ自体に神社や寺のように場所自体に神や仏がいるわけではない。日本ではおおよその建物を建てる際には、方角や土地柄を気にしているように思う。他方、モスクにはそうしたこだわりがほとんどないように思える。日本ではパチンコ店や、カラオケボックスなどを再利用したモスクもある。とにかく礼拝できるスペースがあればいいのだ。トルコ国内でも東ローマ帝国時代の教会をモスクに改築したものが多く見られる。細かいことにこだわらないからこそ、どこでもモスクを作り、イスラーム教を実践できたのだろう。

いずれにしろ、世俗国家であるトルコだからこその現象なのか、モスク界において一般的な現象なのかは、より多くのモスクを見てみないとわからない。