スルタン・カブース・モスク、マスカット、オマーン
アラビア湾に面するオマーンの首都マスカットには、穏やかな空気が漂っている。1970年代までは北朝鮮並みの独裁国家で、西洋嫌いの国王ゆえにラジオやサングラスが禁止され、マラリアや栄養失調で多くの人が亡くなっていた。独裁色と閉塞感が漂うオマーンの面影はみじんもない。その元凶である当時国王である実の父親をクーデターで追放し、たった40年で先進国並みの水準に持ち上げたのがスルタン・カブース国王である。スルタン・カブースが国を任された当時、国内には舗装道路が10キロ、学校が3つ、病院が1つという状況だった。それを約半世紀で、3万キロの舗装道路、1,500以上の学校、約250の病院を作り上げた。そんな信頼実績を持つのがスルタン・カブース国王である。
そんな国王の名を冠したのが、国内最大のスルタン・カブース・モスクだ。同年代にオイルマネーでわき上がった他の湾岸諸国と同様、ここにもまた国家の富を反映したような豪華絢爛な巨大モスクがある。湾岸諸国の国を代表するモスクは、広大な敷地内にあること、車社会という前提もあってか、徒歩で行くとモスクに入るのは容易ではない。スルタン・カブース・モスクの場合は、敷地内入り口からモスク入り口まで、徒歩で20分ほどかかった。
モスクは人々が集い、祈り、交流をする場でもあるから、誰もが気軽に立ち寄れる街中にあるのが一般的である。しかし、極端に誇大化しすぎたモスクは、広大な土地を必要とするゆえに、市街地から離れていたり、徒歩では到底気軽には行けない場所にある。高級ブランド服にありがちな、機能性よりも見栄えが強調されているようなモスクである。
アブダビのシェイク・ザイード・モスク同様、こちらもオイルマネーによって世界のイスラーム美術をかき集めて出来ていることが見て取れる。アブダビのモスクと違うのは、装飾した丸太を並べて作るオマーンの伝統的な技法が、モスクの天井にも取りれられている点。重さ21トンもするペルシャ絨毯、室内のシャンデリアは、アブダビのシェイク・ザイード・モスクにその記録を破られるまでは、ともに世界最大だった。アブダビのモスクの方が後に作られたから、アブダビの方は「オマーンのモスクを抜いて世界一になったる!」と意識していたのかもしれない。オイルマネーで潤う湾岸諸国に共通するのは、財力はあるがイスラーム建築や美術に反映する独自の文化に乏しいという点である。その結果、同じような豪華絢爛なモスクができ上がる。しかし、同ようなゴージャスなモスクでは意味がないので、”世界一”といった個性をトッピングする。
モスクを囲む回廊には、地域や時代ごとのイスラーム美術を反映したミフラーブ(メッカの方角を示すくぼみ)が展示されている。古代エジプト、メソポタミア、ビザンツ、マムルーク、オスマン帝国、ムガール、ヒジャーズ地方のトライバルデザインをあしらったデザインもある。イスラーム教という1つの宗教でありながら、この回廊では時代と地域を超えて広がったイスラーム世界の多様性と奥深さを楽しむことができる。
オマーンには、他の湾岸諸国に比べて明らかに違う部分がある。ドバイやクウェート、サウジなど湾岸諸国にありがちなギラついた高層ビルがないのだ。国内で一番高い建物は、高さ53メートルのシェラトンホテルである。他の湾岸諸国では、オイルマネーが天にそびえる高層ビルと化した。一方でスルタン・カブースは、国の発展のために資源を使いながらも、オマーンの伝統や文化を守っていくことを基本方針としたのである。オマーンの穏やかな空気はそのせいかもしれない。
イスラームという視点で見ると、オマーンはスンニ派の他にイバード派も人口の多数を占めるのも特徴的。礼拝の際に、スンニ派であれば、胸下あたりで両手を組むところ、イバード派は両手を横に下げたまま行うという違いがあるぐらいで、スンニ派とシーア派のような大きな違いは見られない。
スルタン・カブース国王が亡くなったのは2020年のことだった。国王が亡くなる前、もっぱら懸念されていたのが世継ぎ問題である。スルタン・カブースは、バツイチの独身で子どもがいなかった。ゲイなのでは?という噂もあったが、地元の人々いわく、子どもを作れば自分が父親を追放したように同じ目に合うことを恐れている、ということであった。しかし、真実は闇の中である。スルタン・カブース・モスクを見るたびに、国を作り上げた国王とその業績に思いをはせずにはいられない。
参考資料
Decoration and Construction of Omani Traditional Architecture
Lesser Spotted Oman