イマーム・アリー廟、ナジャフ、イラク
カルバラーと並ぶシーア派の聖地が、イラクのナジャフである。この町は、とある理由があって生者よりも死者の数が圧倒的に多い。
ナジャフが聖地たるゆえんは、シーア派初代カリフのイマーム・アリーの廟である。イマーム・アリーは、預言者ムハンマドのいとこであり、妻は預言者の娘ファーティマという、華麗なる一族のメンバーである。しかし、アリーの輝かしい家柄こそがのちのシーア派、スンニ派が生まれる契機となる。イスラーム教が誕生した当初は、シーア派やスンニ派の違いはなかった。預言者ムハンマドの死後、どうやって次のリーダーを決めるかという点において、派閥ができた。預言者ムハンマドの血筋を重視したのがシーア派。一方で、血筋ではなく実力や能力で選ぶべきとしたのがスンニ派である。血筋という点で選出されたのがアリーだった。シーア派は、「シーア・アリー(アリーの党派)」から来た言葉である。
シーア派が生まれる契機となった重要人物が眠る場所。そこには強いシーア派スピリットが根付いている。そのスピリットを具現化したのが、ワディ・サラームという世界最大の墓地だろう。ワディ・サラームは平和の谷を意味する。埋葬の始まりは定かではない。しかし、アルケサス朝やササーン朝の時代に、ナジャフでの埋葬が記述されていることから、1,400年以上前のことだと思われる。
ワディ・サラームは、1,400年以上経た今もなお、拡張を続けている。それはシーア派の慣例も関係している。シーア派の人々は、ナジャフで眠ると天国へいけると信じており、またナジャフでの埋葬が推奨されている。ゆえに、世界中にいる天国に行きたいシーアの人々が、死後この場所に集結するのだ。イラク国内だけでなく、シーア派人口が多いイラン、アゼルバイジャン、レバノン、パキスタン、インドからも、続々と遺体が空路や陸路で運ばれてくる。これは、時に”遺体交通”とも呼ばれ、一大ビジネスにもなっている。
平和の谷には、500万以上のお墓があり、もはや、その具体的な人数は定かではない。毎年、5万人近くの死者がこの地で眠りにつく。戦争やテロがあるたびに、1日の埋葬者数は、激増する。イスラム国がイラクでテロを繰り返していた2014年には、その数は150人から200人にものぼったという。災厄をのみ込んで、肥大化する墓地。災厄が大きければ大きいほど、その拡張のスピードも早くなる。
平和の谷で眠る死者は、現在500万人以上。ナジャフの人口を優に超えている。もはや死者が、生者を上回っている。聖と死が共存する街、ナジャフ。どこまで拡張し続けるのだろうか。